タイヤ交換 

2011.03.31

今日は夜半から雨 早朝は雷 そして雪・・・
明るくなってからは 雪も雨に変わってきた

母の病院も終えて・・・
「タイヤ交換でもやっかな~」

思い付きで実施した
依頼先はひいきの修理工場の「田付自工」

子供や妻のコンパクトカーや軽自動車の軽いタイヤは
天気のいい日を見計らって私が交換している

我が車のタイヤもと いつも思うのだが・・・
ついつい 大きく重いからを理由に頼んでしまう

雨は降ったり止んだりの不安定な今日の天気である

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        冬用タイヤ       →       夏用タイヤ
冬用タイヤから夏用タイヤ(オールシーズン用)に交換
見た目 冬用も夏用も同じに見える

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喜多方ラーメン 蔵美(くらよし) 

2011.03.31

「今日は蔵美に行ってみんべぇ」
「どごにあんだぁ」
「どごだべぇな 緑町がなぁ」
住所:福島県喜多方市二丁目4648-6 ふれあい通り中
以前 時計屋さんだったとこと云えば分かるかなぁ 違ったらごめん


母を定期健診に連れて行く車の中の会話である
「どごでもいいわいぃ」と母は云った

私の頭の中には「蔵美」のイメージは無かった
母を乗せハンドルを握った時 長男が云った言葉を思い出した

「僕のお薦めは蔵美・・・」
「高校の時良く行っていたなぁ~」


私は行った事の無い食堂である
車を駐車場に止め 食堂に入ろうとした時大きな張り紙が目に入った

震災・・・ 当分・・・ 100円引き・・・ の張り紙
実際ラーメンを注文したら100円引きと云われた

それ以外にも 冷奴のサービス ご飯もサービスですと云われた
流石にご飯のサービスはお断りしたが 食べ盛りの高校生にはありがたいサービスであろう

長男が高校時代の時の事を思い浮かべながら ラーメンをすすった
「ばあさん 孫のお薦めの店の味は・・・」「ん~っ 悪ぐはねぇなっ」

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午前10時半では客居ないよね~ 私たちが少し早過ぎたかも・・・

此処より下に家建てるな・・・ 

2011.03.30

此処より下に家建てるな・・・

かつて見たNHKのテレビ映像を思い起こした
その映像の一部を 別の私のブログに転記掲載した
きっと失敗は繰り返しているんだろうなって思っていた

しかしそうではなかった 失敗は繰り返されていなかった
一集落とはいえ 先人の教訓は生きていた 以下のニュース

感動した
先人の教訓は生きていた

以下 ネットニュースより

此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う

読売新聞 3月30日(水)7時22分配信

 東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。

 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」

 本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)

 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。

 地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。

最終更新:3月30日(水)7時22分


仙台に戻る前に朝ラー 

「お母ぁさん 明日の朝食要らないからぁ」
「何でぇ~」
「喜一でラーメン食べてから 真っ直ぐ仙台に帰るから」

3/25 20:00 一時仙台に戻った息子 ガソリンを給油し姉と二人で帰ってきた
息子は云った 車の給油は20L ガソリンスタンドに並んだのは朝3時
タンクローリーの到着が遅れ給油できたのは午後3時だったと
(並んだ順番は4番目だったと云っていた)
流石に息子は疲れたのか 帰りは助手席 車の運転は娘だった

子供達は一日家でゆっくりしながら 何やら物色して車に積んでいた
温かい炬燵に入り 温かいご飯に味噌汁で食事しながら云った

「私たちの地区のガスの復旧工事は 28日からだって・・・」
「だからマスク貰っていくね・・・」

私:「・・・?」

「お風呂入れないから化粧しないで帰るの だから顔隠すの」

3/27 7:00 子供たちは早々に喜多方に行った
「喜一」で朝ラーし満足して帰ってきた
(震災の影響か 日曜なのに混んでいなかったらしい)

息子と娘は弟を車から降ろすと そのまま仙台に戻って行った

東北道 磐越道の規制解除 

2011.03.23

喜多方市のホームページより転記

東北道・磐越道の規制が解除された
仙台に戻りまた帰って来る息子には朗報になる

さっそ息子に電話した
難題は一つ ガソリンの給油だと云う

電話をしたとき息子はこれから寝るところだと云った
帰るだけのガソリンはあると思うが 心配だから給油すると

夜半から仙台市内のガソリンスタンドに並ぶらしい

東北道、磐越道の規制解除について 2011/03/23 17:13
東北自動車道と磐越自動車道の通行規制が3月24日午前6時から全面的に解除され、一般車両も通行できるようになります。

JR磐越西線の3月26日からの運行再開について 2011/03/23 17:09
JR磐越西線は、全線(郡山~新津)で3月26日(土)から運転が再開されます。


喜多方市 今日も給油待ち 

2011.03.22

宅配便が動いていると聞いた 調べてみた
昨日から営業を始めたようだ 

集荷・配達はしない様なので営業所へ荷物を持ち込だ
指定配達日・時間の約束はできませんが・・・ と云われた
(東京の従姉がご法事に来るため前もって送ってきた荷物を送り返すため)

スーパーの閉店は5時~6時 妻に云われた
仕事を終わってからの買い物は難しいからと

宅配業者の営業所を経由しスーパーに回った
妻から云われた食材を調達した

貴重な燃料を使って同じ距離を走るなら 有効に使いたいと思った
農協のガソリンスタンドはどうなんだろうとハンドルを切った

間違いだった 走って1~2分 給油待ちの車で渋滞になっていた
反対車線を走ることを余儀なくされた やっと抜け出した

長蛇の列 どの位だろうか
そしていつまで続くのだろうか



息子 仙台に戻る 

2011.03.22

3 月 11 日午後 2 時 46 分
マグニチュード 9.0 東北地方太平洋沖地震発生

あれから11日目
3/22 am3:00 長男はけさ 一人で仙台に向かった
車に積み込んだのは大根・白菜・小松菜・リンゴ・カセットボンベ・他

大根は雪のある畑から抜いてきた 白菜は保存しておいたもの 
小松菜は近所から分けて貰った お歳暮に頂いたリンゴも一箱あった

「仙台に来るのはまだ早い」長女から云われていた 10日我慢した
昨日 仙台の仲間からメールが来た「ボランティア団体を立ち上げる」と

息子が云った「明日の朝仙台に行く」って
理由は三つ 

一つ目はボランティアの打ち合わせ
二つ目はアパートに置いてきたエントリーシートの提出期限が迫ったこと
三つ目は長女が一度帰りたいと云ったこと

息子は予定を立てていた 仙台への進入は山形経由 滞在は3日
そして姉を連れ一度帰宅 体制を立て直してから日曜日に仙台に戻る予定
長女も折り返し一緒に仙台に戻るようだ

息子は弟に云っていた
「お前はゆっくりして後から戻ってこい」「始業は1ヶ月伸びたんだから」

情報では会津若松は今日明日あたりから ガソリンが出回るとか
その情報を信じ 息子は仙台に行った(戻ってくる分のガソリンはある)

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雪の中から掘ってきた大根と譲って貰った小松菜

品薄 

2011.03.17

昨日 喜多方市に独りで住む80歳の叔母に
パンと牛乳とバナナと諸々の買い物を頼まれた

品薄だよと 女房は云っていたが
実際にスーパーに入ってみてびっくりした

パンは一個もなかった 卵も無かった
そのほかの品物も無かったり品薄状態だ

結局買ったのはカップ麺と牛乳とバナナ
カップ麺は一人2個まで 牛乳は2本までの制限であった

仙台にいる娘は ツイッターでつぶやいていた
「会社を休んで物資調達!寒かったけど結構買えた」と

状況を電話で聞いてみた
3時間並んで一人20点まで買えたと云っていた

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喜多方市内のあるスーパーの店内

情報収集 

2011.03.17

3 月 11 日午後 2 時 46 分
マグニチュード 9.0 東北地方太平洋沖地震が発生した
その翌日 我が家は父の三回忌法要を営んだ

12日 父のご法事は最悪の環境下で行ったが
地震の影響で3名の欠席があったものの 比較的順調に進行できた 

地震の有った11日の夜 電話とインターネットをフル稼働させた
しかし電話もネットも繫がらなかった 仙台にいる娘が心配だった

地震発生15分前に仙台から戻った息子二人と私で 娘に電話を掛け続けた
根気よく掛け続けた 「繫がったぁ~!!」 次男が云った

娘は「会社から避難してきた」「今アパートにいる」「私もアパートも無事」
そして娘は続けた「震源地はどこなの!?」 って

ご法事を終えた夜の我が家の炬燵の上 情報収集基地と化した
私は親戚へ 息子たちは仙台の仲間たちへ電話とメール

テレビとインターネットから得た情報を電話とメールを駆使して仙台に送った
息子が仲間たちに送った給水所の所在情報は 大いに役立ったようだ

息子の仲間たちの間に広まった 知りたい情報が有ったら会津にメールしろって
息子達は一晩中起きていたようだ

DSC_0614.jpg

東北地方太平洋沖地震に関する官邸の対応 ここをクリックすると入れます

長蛇の列 

2011.03.13

仕事場の同僚から電話があった 若松のスーパーで大変な事になってると
スーパーから生鮮食料品が消え ガソリンスタンドは20Lまでの給油規制とか

仙台から戻った息子の車 ガソリンが減っていた
同僚からの情報提供に直ぐ反応し近くのガソリンスタンドに急行した

一軒目 二軒目 三軒目全て売り切れのため閉店
開いているガソリンスタンドは 給油待ちの車の長蛇の列

給油は諦めた 
 


早く仙台に戻りたいなぁ 

2011.03.13

息子:「早く仙台に戻りたいなぁ」

おばあちゃん:「何言ってんだぁ 仙台は大変だぞぉ こごの方が安全だべ・・・」

息子:「だから戻りたいんだよぉ 困っている人の役に立ちたいから・・・」

昨夜 娘から連絡があった アパートは無事 内部もそこそこに大丈夫だと・・・
こっちにいる息子たちは安心したようだ(活動拠点は無事だと)

その子供達は 一日中仙台の情報収集に躍起になっている
そして仙台の友達にメールで情報を伝えている

【東日本大震災】
激甚災害に指定 政府が閣議決定
2011.3.13 02:26
 政府は13日未明、東日本大震災を受けて、激甚災害指定を行う政令を12日夜の持ち回り閣議で閣議決定したと発表した。

 地震による被害が激甚災害指定基準を明らかに超えるものと見込まれるため、早期に激甚災害に指定した。これにより、災害復旧事業の国庫補助のかさ上げなど、地方公共団体に対する特別の財政援助が実施される。


どなたでもいい 参考になればいい 

2011.03.13

官邸において発表された情報

どなたでもいい 参考になればいい

東北地方太平洋沖地震について
緊急災害対策本部と原子力災害対策本部連名発表した内容です


発表資料の一部抜粋です(03/13 04:00現在) 
情報は随時更新されています↑青字部分をクリックして下さい
抜粋1

安否確認メール 

2011.03.11

仕事場からの緊急メールを受信
大規模災害が起こった場合の安否確認メールだ

安否確認メールを確認したのは午後9時50分
送信日時を見ると 午後4時22分

電話もメールもネットも繫がらなかった
午後9時50分 息子が云った:「今ネット繫がったぁ・・・」

2011/03/11 (金) 09:55 PM 
「無事で自宅にいる」と返信した

安否確認メール

大地震 

2011.03.11

明日のご法事のため 仙台に住む子供達が車で帰ってきた
帰ってきたのは長男と次男 

長女は仕事を終えてから高速バスで帰って来る予定だ
東京の従姉も仕事を終えて やはり高速バスで来る予定

子供達が家に着いたのは午後2時半 
昼食をとってこなかった様で 帰るや否や食事をしだした

長男は直ぐ食事をした 次男はお茶を飲んでからカップ麺にお湯を注いだ
そろそろ食べようとした時である 突然家が揺れた 物凄い揺れだ
私は直ぐに玄関の戸を開けた 長男と次男はお婆ちゃんと一緒に外に出た

それから私たちはテレビに釘付けになった
携帯もネットも繫がらない時間が続いた

<ネットニュースより>
東北や関東地方などで激しい揺れが起きた2011年3月11日午後の地震について、気象庁は16時から会見を開き、「平成23年東北地方太平洋沖地震」と命名したと発表した。また今回の地震のマグニチュードについて、8.4と発表されていたが、17時30分ごろ8.8に変更した。

今 日本に大変な事が起こった

▼... Read more ≫

白鳥が寝ています 

2011.03.10

1台の車が入って行った 「えっ 通れるの?」
ほんとの田んぼ道である

春仕事を始めるため 農家の方が大型農機具使って除雪したようだ
私もその除雪した農道に引き込まれるように侵入した

農道はきれいに除雪され 何の支障もなく車はすれ違える広さだ
が 通る車は未だ少なく 走りは快適だ

途中 田んぼの一部は雪が融け畔が現れ 水溜りができていた
そこに白鳥の集団がいた 私のヂーゼルエンジンの音にも驚かない

私は車を止め窓を開け コンパクトカメラを構えた
少し逆光だがモニターを覗いた だが明るくて見えない

ほゞ感でシャッターを切った 数枚撮って帰宅
夜勤明けの寝ぼけ眼で再生してみた「見た様には撮れないなぁ・・・」

我が眼に映った白鳥は寝ていた 今まで目にしたほとんどの白鳥は餌を探す姿
けさは違っていた ほとんどの白鳥が寝ていた

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Author:かねちょ(yuki)
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先祖代々繋いできた稼業の農 200​9年1月 離農しました

そして今 辰年生まれの年金暮らし・・・ 

日常の生活の一部を切り取り 日記風に不定期に書き込んでいます

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